明治20年代、近代化の波に伴い、湘南一帯は外国人や政財界の人々によって、海水浴や別荘文化が広まりました。大磯、鎌倉に続き、1886年には鵠沼海岸に海水浴場が開かれ、1902年には江ノ電が開通。
自然環境に恵まれた鵠沼は御用邸の候補地でしたが、葉山に決定したことで、土地所有者の大給子爵家が松が岡一帯の土地を1区画 3000坪単位で分譲開始。鵠沼松が岡は日本で最初期の別荘分譲地として発展しました。当時、先人たちが防砂林として植えた黒松は、鵠沼を象徴する景観を作り、現在も空高く潮風に揺らいでいます。
当館は、1928(昭和3)年の建築で、複数の所有者を経て、1948(昭和23)年より実業家の尾日向竹重が居住を開始。当時は鵠沼駅から3軒目という広大な敷地で、南側は境川に面し、池や沼を残した野趣溢れる緑地に、洋館と和館がのびやかに配置される別荘建築でした。
現在、敷地面積は約700坪に縮小しましたが、大きな増改築を行うことなく、戦前期湘南の中規模別荘建築の様相を伝える邸宅として維持されています。2018年3月には洋館和館ともに国の登録有形文化財となりました。
大正から昭和初期にかけて「洋館付きの和風住宅」が多く建てられた時代がありました。尾日向家住宅の場合は、それとは逆に洋館を主たる居住部分とし、和館を接客スぺースとして使用。それは関東大震災後ならではの耐震・耐火性能への配慮があったと考えられます。
赤褐色のフランス瓦、寄木張の床、アールデコ意匠の照明器具、ステンドグラスなど随所に優れた意匠が見られる洋館に、琵琶床や付書院を備えた本格的な10畳和室が特徴的な和館。洋館と和館が一体となったゆとりある建築に、客人を迎える事細かなしつらえは、100年近く経た現在、より一層味わいを増しているかのようです。